《短篇集(日文版)》第2章


「畜生でございますから、……」
娘はもう一度かう繰返しましたがやがて寂しさうにほほ笑みますと、
「それに良秀と申しますと、父が御折檻(ごせつかん)を受けますやうで、どうも唯見ては居られませぬ。」と、思ひ切つたやうに申すのでございます。これには流石(さすが)の若殿様も、我(が)を御折りになつたのでございませう。
「さうか。父親の命乞(いのちごひ)なら、枉(ま)げて赦(ゆる)してとらすとしよう。」
不承無承にかう仰有ると、楚(すばえ)をそこへ御捨てになつて、元いらしつた遣戸の方へ、その儘御帰りになつてしまひました。

良秀の娘とこの小猿との仲がよくなつたのは、それからの事でございます。娘は御姫様から頂戴した黄金の鈴を、美しい真紅(しんく)の紐に下げて、それを猿の頭へ懸けてやりますし、猿は又どんな事がございましても、滅多に娘の身のまはりを離れません。或時娘の風邪(かぜ)の心地で、床に就きました時なども、小猿はちやんとその枕もとに坐りこんで、気のせゐか心細さうな顔をしながら、頻(しきり)に爪を噛んで居りました。
かうなると又妙なもので、誰も今までのやうにこの小猿を、いぢめるものはございません。いや、反(かへ)つてだん/\可愛がり始めて、しまひには若殿様でさへ、時々柿や栗を投げて御やりになつたばかりか、侍の誰やらがこの猿を足蹴(あしげ)にした時なぞは、大層御立腹にもなつたさうでございます。その後大殿様がわざ/\良秀の娘に猿を抱いて、御前へ出るやうと御沙汰になつたのも、この若殿様の御腹立になつた話を、御聞きになつてからだとか申しました。その序(ついで)に自然と娘の猿を可愛がる所由(いはれ)も御耳にはいつたのでございませう。
「孝行な奴ぢや。褒めてとらすぞ。」
かやうな御意で、娘はその時、紅(くれなゐ)の袙(あこめ)を御褒美に頂きました。所がこの袙を又見やう見真似に、猿が恭しく押頂きましたので、大殿様の御機嫌は、一入(ひとしほ)よろしかつたさうでございます。でございますから、大殿様が良秀の娘を御贔屓(ひいき)になつたのは、全くこの猿を可愛がつた、孝行恩愛の情を御賞美なすつたので、決して世間で兎や角申しますやうに、色を御好みになつた訳ではございません。尤もかやうな噂の立ちました起りも、無理のない所がございますが、それは又後になつて、ゆつくり御話し致しませう。こゝでは唯大殿様が、如何に美しいにした所で、剑龓燂L情(ふぜい)の娘などに、想ひを御懸けになる方ではないと云ふ事を、申し上げて置けば、よろしうございます。
さて良秀の娘は、面目を施して御前を下りましたが、元より悧巧な女でございますから、はしたない外の女房たちの妬(ねたみ)を受けるやうな事もございません。反つてそれ以来、猿と一しよに何かといとしがられまして、取分け御姫様の御側からは御離れ申した事がないと云つてもよろしい位、物見車の御供にもついぞ欠けた事はございませんでした。
が、娘の事は一先づ措(お)きまして、これから又親の良秀の事を申し上げませう。成程(なるほど)猿の方は、かやうに間もなく、皆のものに可愛がられるやうになりましたが、肝腎(かんじん)の良秀はやはり誰にでも嫌はれて、相不変(あひかはらず)陰へまはつては、猿秀呼(よばは)りをされて居りました。しかもそれが又、御邸の中ばかりではございません。現に横川(よがは)の僧都様も、良秀と申しますと、魔障にでも御遇ひになつたやうに、顔の色を変へて、御憎み撸Г肖筏蓼筏俊#ㄓ趣猡长欷狭夹悚紭敜斡凶搐驊锘à钉欷瘢─嗣瑜い郡椁坤胜嗓壬辘筏蓼工⒑畏窒拢à筏猓─钉蓼螄gでございますから、確に左様とは申されますまい。)兎に角、あの男の不評判は、どちらの方に伺ひましても、さう云ふ眨婴肖辘扦搐钉い蓼埂¥猡窅櫎皮悉胜い猡韦ⅳ膜郡戎陇筏蓼工取ⅳ饯欷隙摔谓}師仲間か、或は又、あの男の剑蛑膜皮黏毪坤堡恰ⅳⅳ文肖稳碎gは知らないものばかりでございませう。
しかし実際、良秀には、見た所が卑しかつたばかりでなく、もつと人に嫌がられる悪い癖があつたのでございますから、それも全く自業自得とでもなすより外に、致し方はございません。

その癖と申しますのは、吝嗇(りんしよく)で、慳貪(けんどん)で、恥知らずで、怠けもので、強慾で――いやその中でも取分け甚しいのは、横柄で高慢で、何時も本朝第一の剑龓煠壬辘故陇颉⒈扦蜗趣丐证橄陇菠皮黏胧陇扦搐钉い蓼护Α¥饯欷饣坤紊悉肖辘胜椁蓼坤筏猡扦搐钉い蓼工ⅳⅳ文肖呜摛毕Г筏撙摔胜辘蓼工取⑹篱gの習慣(ならはし)とか慣例(しきたり)とか申すやうなものまで、すべて莫迦(ばか)に致さずには置かないのでございます。これは永年良秀の弟子になつてゐた男の話でございますが、或日さる方の御邸で名高い檜垣(ひがき)の巫女(みこ)に御霊(ごりやう)が懀à模─い啤⒖证筏び毿ⅳ膜繒rも、あの男は空耳(そらみゝ)を走らせながら、有合せた筆と墨とで、その巫女の物凄い顔を、丁寧に写して居つたとか申しました。大方御霊の御祟(おたゝ)りも、あの男の眼から見ましたなら、子供欺し位にしか思はれないのでございませう。
さやうな男でございますから、吉祥天を描く時は、卑しい傀儡(くぐつ)の顔を写しましたり、不動明王を描く時は、無頼(ぶらい)の放免(はうめん)の姿を像(かたど)りましたり、いろ/\の勿体(もつたい)ない真似を致しましたが、それでも当人を詰(なじ)りますと「良秀の描(か)いた神仏が、その良秀に冥罰(みやうばつ)を当てられるとは、異な事を聞くものぢや」と空嚕Вà饯椁Δ饯郑─い皮黏毪扦悉搐钉い蓼护螭¥长欷摔狭魇蔚茏婴郡沥獯簸旆丹膜啤⒅肖摔衔蠢搐慰证恧筏丹恕⒋摇┫兢颏趣膜郡猡韦狻⑸伽胜膜郡浃Δ艘姢Δ堡蓼筏俊(D―先づ一口に申しましたなら、慢業重畳(まんごふちようでふ)とでも名づけませうか。兎に角当時天(あめ)が下(した)で、自分程の偉い人間はないと思つてゐた男でございます。
従つて良秀がどの位画道でも、高く止つて居りましたかは、申し上げるまでもございますまい。尤もその剑扦丹亍ⅳⅳ文肖韦瞎P使ひでも彩色でも、まるで外の剑龓煠趣线‘つて居りましたから、仲の悪い剑龓熤匍gでは、山師だなどと申す評判も、大分あつたやうでございます。その連中の申しますには、川成(かはなり)とか金岡(かなをか)とか、その外昔の名匠の筆になつた物と申しますと、やれ板戸の梅の花が、月の夜毎に匂つたの、やれ屏風の大宮人(おほみやびと)が、笛を吹く音さへ聞えたのと、優美な噂が立つてゐるものでございますが、良秀の剑摔胜辘蓼工取⒑螘rでも必ず気味の悪い、妙な評判だけしか伝はりません。譬(たと)へばあの男が龍蓋寺(りゆうがいじ)の門へ描きました、五趣生死(ごしゆしやうじ)の剑酥陇筏蓼筏皮狻⒁垢à瑜眨─堡崎Tの下を通りますと、天人の嘆息(ためいき)をつく音や啜り泣きをする声が、聞えたと申す事でございます。いや、中には死人の腐つて行く臭気を、嗅いだと申すものさへございました。それから大殿様の御云ひつけで描いた、女房たちの似剑à摔护瘢─胜嗓狻ⅳ饯谓}に写されたゞけの人間は、三年と尽(た)たない中に、皆魂の抜けたやうな病気になって、死んだと申すではございませんか。悪く云ふものに申させますと、それが良秀の剑涡暗坤寺浃沥皮黏搿⒑韦瑜辘卧^拠ださうでございます。
が、何分前にも申し上げました通り、横紙破りな男でございますから、それが反つて良秀は大
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