《吾輩は猫である》第121章


いが迷亭君の世の中は剑摔い渴坤沃肖扦悉胜ぁ:戮现槟ィà郡蓼梗─辘颏浃幛皮趣Δ趣Δ榘陇丹螭蜻Bれて来た。これが順当だ。しかし順当が永く続くと定めし退屈だろう。枺L君も今十年したら、無暗に新体詩を捧げる事の非を悟るだろう。三平君に至っては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定がむずかしい。生涯(しょうがい)三鞭酒(シャンパン)を御馳走して得意と思う事が出来れば結構だ。鈴木の藤(とう)さんはどこまでも転(ころ)がって行く。転がれば泥がつく。泥がついても転がれぬものよりも幅が利(き)く。猫と生れて人の世に住む事もはや二年越しになる。自分ではこれほどの見識家はまたとあるまいと思うていたが、先達(せんだっ)てカ匹搿ぅ啷毪仍皮σ姢褐椁氦瓮澶蝗淮髿荨。à坤いà螅─驌P(あ)げたので、ちょっと吃驚(びっくり)した。よくよく聞いて見たら、実は百年前(ぜん)に死んだのだが、ふとした好奇心からわざと幽霊になって吾輩を驚かせるために、遠い冥土(めいど)から出張したのだそうだ。この猫は母と対面をするとき、挨拶のしるしとして、一匹の肴(さかな)を啣(くわ)えて出掛けたところ、途中でとうとう我慢がし切れなくなって、自分で食ってしまったと云うほどの不孝ものだけあって、才気もなかなか人間に負けぬほどで、ある時などは詩を作って主人を驚かした事もあるそうだ。こんな豪傑がすでに一世紀も前に出現しているなら、吾輩のような碌(ろく)でなしはとうに御暇(おいとま)を頂戴して無何有郷(むかうのきょう)に帰臥(きが)してもいいはずであった。
主人は早晩胃病で死ぬ。金田のじいさんは慾でもう死んでいる。秋の木(こ)の葉は大概落ち尽した。死ぬのが万物の定業(じょうごう)で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢こいかも知れない。諸先生の説に従えば人間の呙献詺ⅳ藥ⅳ工毪饯Δ馈S投悉颏工毪让à猡饯螭矢F屈な世に生れなくてはならなくなる。恐るべき事だ。何だか気がくさくさして来た。三平君のビ毪扦怙嫟螭扦沥染皻荬颏膜堡皮浃恧Α?br />
勝手へ廻る。秋風にがたつく戸が細目にあいてる間から吹き込んだと見えてランプはいつの間(ま)にか消えているが、月夜と思われて窓から影がさす。コップが盆の上に三つ並んで、その二つに茶色の水が半分ほどたまっている。硝子(ガラス)の中のものは湯でも冷たい気がする。まして夜寒の月影に照らされて、静かに火消壺(ひけしつぼ)とならんでいるこの液体の事だから、唇をつけぬ先からすでに寒くて飲みたくもない。しかしものは試しだ。三平などはあれを飲んでから、真赤(まっか)になって、熱苦(あつくる)しい息遣(いきづか)いをした。猫だって飲めば陽気にならん事もあるまい。どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。何でも命のあるうちにしておく事だ。死んでからああ残念だと墓場の影から悔(く)やんでもおっつかない。思い切って飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちゃぴちゃやって見ると驚いた。何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。人間は何の酔興(すいきょう)でこんな腐ったものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れない。どうしても猫とビ毪闲裕à筏绀Γ─悉铯胜ぁ¥长欷洗髩浃坤纫欢趣铣訾筏可啶蛞z(ひっこ)めて見たが、また考え直した。人間は口癖のように良薬口に苦(にが)しと言って風邪(かぜ)などをひくと、顔をしかめて変なものを飲む。飲むから癒(なお)るのか、癒るのに飲むのか、今まで疑問であったがちょうどいい幸(さいわい)だ。この問睿颔萤‘ルで解決してやろう。飲んで腹の中までにがくなったらそれまでの事、もし三平のように前後を忘れるほど愉快になれば空前の儲(もう)け者(もの)で、近所の猫へ教えてやってもいい。まあどうなるか、撙蛱欷巳韦护啤ⅳ浃盲膜堡毪葲Q心して再び舌を出した。眼をあいていると飲みにくいから、しっかり眠って、またぴちゃぴちゃ始めた。
吾輩は我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビ毪蝻嫟吒嗓筏繒r、妙な現象が起った。始めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従ってようやく楽(らく)になって、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなった。もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのも拭(ぬぐ)うがごとく腹内(ふくない)に収めた。
それからしばらくの間は自分で自分の動静を伺うため、じっとすくんでいた。次第にからだが暖かになる。眼のふちがぽうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。主人も迷亭も独仙も糞を食(くら)えと云う気になる。金田のじいさんを引掻(ひっか)いてやりたくなる。妻君の鼻を食い欠きたくなる。いろいろになる。最後にふらふらと立ちたくなる。起(た)ったらよたよたあるきたくなる。こいつは面白いとそとへ出たくなる。出ると御月様今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。
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十一 … 26
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陶然とはこんな事を云うのだろうと思いながら、あてもなく、そこかしこと散歩するような、しないような心持でしまりのない足をいい加減に撙肖护皮妞取⒑韦坤筏辘嗣撙ぁG蓼皮い毪韦坤ⅳⅳ毪い皮毪韦坤腥护筏胜ぁQ郅悉ⅳ堡毪膜猡辘坤丐な骡罚à婴郡溃─筏ぁ¥长Δ胜欷肖饯欷蓼扦馈:¥坤恧Δ⑸饯坤恧Δ@ろかないんだと、前足をぐにゃりと前へ出したと思う途端ぼちゃんと音がして、はっと云ううち、――やられた。どうやられたのか考える間(ま)がない。ただやられたなと気がつくか、つかないのにあとは滅茶苦茶になってしまった。
我に帰ったときは水の上に浮いている。苦しいから爪でもって矢鱈(やたら)に掻(か)いたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐってしまう。仕方がないから後足(あとあし)で飛び上っておいて、前足で掻いたら、がりりと音がしてわずかに手応(てごたえ)があった。ようやく頭だけ浮くからどこだろうと見廻わすと、吾輩は大きな甕(かめ)の中に落ちている。この甕(かめ)は夏まで水葵(みずあおい)と称する水草(みずくさ)が茂っていたがその後烏の勘公が来て葵を食い尽した上に行水(ぎょうずい)を使う。行水を使えば水が減る。減れば来なくなる。近来は大分(だいぶ)減って烏が見えないなと先刻(さっき)思ったが、吾輩自身が烏の代りにこんな所で行水を使おうなどとは思いも寄らなかった。
水から縁(ふち)までは四寸余(よ)もある。足をのばしても届かない。飛び上っても出られない。呑気(のんき)にしていれば沈むばかりだ。もがけばがりがりと甕に爪があたるのみで、あたった時は、少し浮く気味だが、すべればたちまちぐっともぐる。もぐれば苦しいから、すぐがりがりをやる。そのうちからだが疲れてくる。気は焦(あせ)るが、足はさほど利(き)かなくなる。ついにはもぐるために甕を掻くのか、掻くためにもぐるのか、自分でも分りにくくなった。
その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責(かしゃく)に逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水の面(おもて)にからだが浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって五寸にあまる甕の縁に爪のかかりようがない。甕のふちに爪のかかりようがなければいくらも掻(が)いても、あせっても、百年の間身を粉(こ)にしても出られっこない。出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから?
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